説教要旨

 

611 説教―                牧師 松村 誠一

                「心に割礼を」

 ユダヤ人は我々には神から律法が与えられ、神から選ばれた民である。だから神によって義とされ、神からの救いを得ていると、理解し主張しておりました。このユダヤ人の選民意識はものすごく、異邦人は神を知らないで闇の中にいる人々であると理解し、自分たちは彼らの案内人であり、彼らの教師であると自認しておりました。しかし実際には彼らも与えられている律法を守ることが出来ず、いやその律法を破ることさえしていたのです。そのようなユダヤ人たちに対してパウロは「あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。」(ローマ225)と訴えております。割礼はまさにユダヤ人のしるしでした。パウロは、割礼は律法が与えられ、律法を守る民のしるしに過ぎない。だから律法を守らない、守れない、あなたがたユダヤ人は割礼なき者であると指摘しております。

そしてパウロは外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、内面がユダヤ人である者が真のユダヤ人である、と訴えているのです。このユダヤ人とは“主を褒め称える”という意味があります。ですから本当に心から主を褒め称える者が、神から選ばれた神の民なのだ、ということを語り伝えているのです。そして本当に神を称える者とは、霊によって心に施された割礼をうけた者であること語り告げております。

人間は善悪を知る心が与えられています。しかし残念ながらその善悪を知る心も罪よってふさがれてしまっています。その罪によってふさがれてしまっている善悪を知る心は、聖霊の働きによって、善悪を知る心へと回復されるのです。ですからパウロは霊によって心に施された割礼、つまり復活のイエス様の霊が私たちの心に働きかけてくださる時に罪よってふさがれてしまっている善悪を知る心に風穴を開けてくださり、神の思いを受け入れる者となるのだ。これこそが真のユダヤ人、主を心から褒め称える者なのだと教えています。

 これは当時のユダヤ人に語られた言葉であります。しかし、このユダヤ人に語られた言葉を、今日、私たちに語られた言葉として聞いていかなければならないのではないでしょうか。私たちは聖霊の働きによって罪によってふさがれて善悪を知る心に風穴が開けられ、生前イエス様が語られたことを思い起こし、イエス様と同じ思いをもって他者と共に歩む者へと導かれております。聖霊の働きにより、何をし、何を語り、あるいは何をせず、何を語らざるかを知らされている者であります。しかし当時のユダヤ人がそうであるように、私たちも善悪を知る心は罪によってふさがれてしまうことが度々です。それゆえに、私たちは共に聖書を読み、聖書の言葉を心の内に蓄えていかなければならないのです。そういう私たちに聖霊は働いてくださり、罪によってふさがれている善悪を知る心にいつも風穴を開けてくださり、内面がユダヤ人、つまり主を褒めたたえる者として歩んで行くことが出来るのです。

              (ローマの信徒への手紙21729節)

 

 

64日 説教―               牧師 松村 誠一

        「イエス様が一緒に住んで下さる」

 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネによる福音書141516節)間もなく十字架刑により殺害される時が近づいている、その時にイエス様は弟子たちに約束をされています。“父は別の弁護者を遣わして、いつまでもあなたがたと共にいるようにしてくださる”という約束です。この“弁護者については26節で「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させて下さる。」と解説されています。

 「弁護者」は聖霊であり、聖霊はイエス様が、弟子たちに教えたこと、話されたことを思い起こさせて下さるのです。そして思い起こすことにより、イエス様が救い主であることを受け入れる信仰へと導いて下さるのです。

弟子たちは、イエス様が語られたことをいつも十分に理解することができませんでした。イエス様が弟子たちの足を洗われた時も、ペトロは「わたしの足など、決して洗わないでください。」と言っていますし、また「主よ、足だけでなく、手も頭も。」と、イエス様の話されたこと、行為を全然理解できなかった様子が記されています。イエス様の教えや振る舞いを理解できなかったのはペトロだけではありません。他の弟子たちも、群衆もです。しかし、そのような弟子たちがイエス様ご自身を、そしてその教えを理解する時がくるのです。

それは聖霊が降ったペンテコステの日です。弟子たちは聖霊の働きにより生前イエス様が教えられたことを理解し、イエス様こそ神の子、救い主であるという信仰へと導かれていくのです。そして生前イエス様が語られた「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」という命令に従い、自分の命をかけて、いや、命を捨ててまでもイエス様の弟子としての道を歩むことになるのです。それを可能足らしめたのは、聖霊の働き、聖霊の導きであります。聖霊は、生前のイエス様が語られたことを思い起こし、その語られたことを受け入れ、信じ、それに従うようにと導いて下さるのであります。聖書使徒言行録2章に聖霊が降った出来事が記されています。

ここで注目したいのは45節です。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」ことです。聖霊は生前イエス様が語られたことを思い起こさせて下さると同時に、まさにイエス様と同じ思いをもって他者と共に歩む者へと導いてくださるのです。聖書を共に読み、生前語られたイエス様の言葉を心に内に蓄えるならば、今も活ける霊なるイエス様が私たちの心の内に共に住んでくださるのです。

       (ヨハネ意による福音書141521節)