説教要旨

56日 説 教―             牧師 松村 誠一

          「わたしのもとに来なさい」

イエス様は神の子、救い主として神の国を指し示し、病人や貧しさのためにあえいでいる人の隣人となり、病をいやし、困窮から救い出し、まさに救い主として働かれました。そのイエス様の働きを通してイエス様を救い主として信じ、受け入れ、イエス様に従ったのは、「重荷を負っている人、疲れた者」だったのです。イエス様はご自分の働きはこれらの人々の隣人となり、神の国を指し示していくことであり、それが神の御心であることを再確認しているのです。

27節は重要な事柄が述べられています。イエス様は、ご自分を知っておられるのは、父なる神であり、その父なる神を知っているのはこのわたしである。このわたしが父なる神を明らかにしようとして、あなたに接しているではないか。そのあなたのみが真の神を知ることが出来るのだ、と言っているのです。イエス様が示された神は愛の神であり、イエス様を死から甦らせられた神です。そのイエス様の人格に触れる時に、私たちも神の愛に触れ、死から命へと招いて下さるお方こそ父なる神であることを知ることが出来るのです。ですからイエス様は語りかけられるのです。「疲れた者,重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と。

イエス様のこの言葉は、こんにちにおいても疲れた者、重荷を負う者に語りかけられているのです。

しかし、疲れている多くの人々は、イエス様のもとに行かず、自分で背負い込んで自分自身で解決しようと頑張っているのではないでしょうか。しかし現実には解決出来ず疲れは増すばかり。疲れ、重荷、不安など人間に襲って来るこれらのものからの根本的な解決が得られないから、現代社会は重苦しい空気に覆われているのではないでしょうか。このような時代だからこそ、重荷を負っている者、疲れを覚えている者はイエス様のもとに行かなければならないのです。

イエス様のもとに行くならなぜ休みが与えられるのでしょうか。それはイエス様は柔和であり、謙遜な方だからです。柔和は、貧しい者とも訳される言葉です。従いまして「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしも重荷を負い、苦労し低くされた者であるから」。そのようにイエス様は語りかけておられるのです。軛はご存知のように2頭の牛を繋ぐ器具であります。イエス様と繋がることによって、自分の重荷をイエス様が負ってくださるがゆえに、安らぎが与えられるのです。イエス様の軛を負うことにより、イエス様と真の神との関係の中へと招かれるから安らぎが与えられるのです。

                        (マタイによる福音書112530)