説教記録11月

1125日 説教―                  牧師 松村 誠一

             「時間の管理・支配者」

ペトロの手紙()は、使徒ペトロが書いた手紙ではなく、ペトロの名前を付けて書いた手紙です。紀元1年以降、3年の間に書かれた手紙だと理解されています。なぜペトロの名前を付けて、この手紙が書かれたのか。それはペトロの名前を借りてでも、当時のキリスト者に知らせなければならない、大きな問題があったからです。それは、「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ」という問題です。

主の再臨の遅延は、当時のキリスト者の悩みであり、躓きでありました。イエス様の教えは嘘だったのか。イエス様の教えが嘘だったなら、今まで信仰をもって生きて来たことは無駄だったのか。彼らは怒りをも覚えて当時の信仰の指導者に訴えているのです。この再臨の遅延の問題は、パウロ時代にもすでに出てきておりました。ですからパウロ以降に記された福音書でもそのことが取り扱われております。福音書においてイエス様は神の国について二通り語っています。一つは神学用語で「黙示文学的終末論」と呼ばれているもので、もう一つは「現在的終末論」です。ルカによる福音書でイエス様は「神の国は見える形では来ない。ここにある、あそこにある、とも言えない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と語っています。イエス様によって神の国はもうすでに実現しているのだ、イエス様を信じる信仰によって神の国に生きる命をもうすでに頂いているのだということです。

 さてこのペトロの手紙の著者は、神の国が実現されるという約束はどうなっているのか、という質問に対して「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」とまず時間の捉え方、考え方について語ります。さらに遅延の理由を明らかにしております。それは「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」と教えております。そして主の日、つまり主の来臨はイエス様が語られましたように「盗人のようにやって来ます。」と、当時のキリスト者に語り教えています。

さて今日、私たちは主の来臨をどのように理解し、受けとめればいいのでしょうか。世の終わりが確実に来ることは、今日誰も疑う者はいないでしょう。聖書は、いつ主の来臨が来るかに関心を持つのではなく、いかに生きるかが大切な事柄であり、そのいかに生きるかを私たちに示してくれています。それは、神が一人一人に与えて下さっている命に生きることではないでしょうか。私たちはイエス様を信じる信仰によって、もうすでに神の国に生きる命が与えられているのですから、その命を与えられている者は、神の国実現まで、今ここで神の国の出来事を行っていくことが求められているのです。

          (ペトロの手紙() 3813節)

 

1118日 奨励―                    片桐 健司兄

     「もはや死はなく、悲しみも労苦もない」

  先日召天された水口兄は、感謝な人生を歩まれたと思います。でも、90歳も100歳も生きる人もいれば、生まれてすぐに亡くなってしまう人もいます。私の知り合いの人の子どもは5歳のときに事故で亡くなってしまい、その方はとても悲しんでいました。

■「空にかかるはしご」という本には、小さいときに亡くなった子どもたちのことが書かれています。その中に「ある朝ボクは天使になった。ボクしかできない使命があったんだ。 泣かないで、泣かないで、ボクは今、幸せだよ」という言葉がのっています。神様は、100歳の人にも生まれてすぐに亡くなった人にも素晴らしい恵みを本当はくださっているのだということがわかります。

■私たちは、生まれる前はどこにいたのでしょう。お母さんのおなかの中に入るずーっと前、神様の所にいたのではないかと思います。そして、神様から命をもらって生まれてきました。 今、その命が守られてここまで大きくなれたことに、感謝したいですね。

■今日の聖書のヨハネの黙示録が書かれた時代は、キリスト教信者が迫害されていた時代でした。いつ殺されるかわからないそんなときに、希望をもって書かれたのがこのヨハネの黙示録です。

■突然、話が変わりますが、先日、松村先生が地球の動く速さの話をしてくださいました。ものすごく速いという話でしたが、その速さは、地球が太陽を回る速さです。ところが、それは、太陽が止まっていると考えたときの話です。実は、太陽も宇宙の中で動いていますから、地球の本当の速さは、また違ってきます。

■そこで、地球の本当の速さを知りたいと思った学者たちは、鏡を使った実験をして、速さを計算しようとしました。ところが、その結果は、今の科学では考えられない数字になったのです。時間が短くなったり、長さが短くなったりしてしまうのです。アインシュタインという人は、そのことを相対性理論というなかで、すでに見つけていました。

■私たちは、今、私たちのいるところがすべてと思っていますが、線だけの世界(一次元)や、平面だけの世界(二次元)があります。私たちのいるところは、平面に高さが加わった三次元の世界です。だから、自由にいろいろなところに移動ができます。でも自由にならないものがあります。それは時間です。昨日や、明日に行くことはできないのです。だから死んだら元に戻れない(生き還られない)と思い、死ぬことを恐く思ったりします。 (四次元の世界では時間も自由になります。)

■でも、神様の世界は四次元も五次元も越えた世界です。神様の元では、死ぬことも悲しむことも苦しむこともない、そういう世界なのです。ヨハネの黙示録は、迫害でいつ殺されるか分からないときに、そういう神様の世界のことを語り、信じれば何も恐れることはないことを伝えています。

              (ヨハネの黙示録2137)

 

1111日 説 教―              牧師 松村 誠一

     「主のみもとに召された方々を覚えて」

キリスト教が成立したのは、イエス様の十字架の死と復活という出来事の故であり、みながその出来事に与り、イエス様を救い主と信じ、信仰生活を共にしていました。そして当時、パウロをはじめ多くのキリスト者は、自分たちの存命中にイエス様は再び来られ、神の国が完成されるのだという信仰をもっておりました。

ところがそのように信じていたテサロニケの教会員が、主のみもとに召されてしまったのです。彼らの人間理解は肉体を持った人が一人の人間存在であるという理解でした。つまり肉体が滅んでしまったならば、その人そのものが滅んでしまったという理解だったのです。ですから彼らは途方に暮れ、私たちの希望は何だったのか、という疑問を持つと同時に友を失ってしまった悲しみに支配されていたのです。

そこでパウロは眠りについた人たち、つまり死んでしまった人は滅んでしまったのではない。主のみもとへ招かれたのであって、主の再臨の時には、また会うことが出来るのだということを語り教えています。死はその人の終わりではないのです。

水口仁平兄は、昨夜午後6時過ぎに主のみもとに召されました。そして今日は「召天者記念礼拝」です。私は10月初旬に水口兄をお見舞いに伺いました。その時非常にはっきりとした口調で、「10年間働きました。間もなく世を去ります。」とおっしゃいました。ご承知の通り、東京バプテスト神学校を81歳で卒業し、それから篠崎キリスト教会で10年間、今年の3月まで協力牧師としてその務めに当たっておられました。81歳から10年間、ご自宅の蒲田から江戸川区の篠崎教会までは片道約2時間、日曜日の礼拝をはじめ水曜日の祈祷会、その他の集会に出席し、奉仕をされました。この務めを全うできたのは、主イエス様の導きと支えとがあったからではないでしょうか。水口兄はイエス様によって与えられる新しい命を頂き、その命に活かされていることを感じながら日々過ごしておられたのでしょう。そしてイエス様からよくやったとのねぎらいの言葉が語りかけられていたのではないでしょうか。だからこそ、「10年間働きました。間もなく世を去ります。」という言葉をごく自然に語ることが出来たのではないでしょうか。水口兄は、主イエス様のところに行く希望をもって日々過ごしておられたのだと思います。

パウロは「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」と語り教えています。私たちもやがては主のみもとに召されていくことでしょう。しかし滅びではなく、イエス様のみもとへと招かれていくのです。召天者を記念する礼拝で私たちもこのパウロの言葉を聞き、受け入れ、すでに召された兄弟姉妹と出会う日が備えられていることを信じ、希望をもって日々過ごしてまいりましょう。

         (テサロニケの信徒への手紙() 41318節)

 

114日 説教―                牧師 松村 誠一

              「祈りに関する教え」

テモテへの手紙一はパウロの強い感化をうけていたパウロの伝道圏内で、パウロの思いを伝えていかなくてはならないパウロの弟子の一人によって書かれた手紙だとされています。執筆の年代は紀元90年以降と理解されています。著者は、語ります。「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」と。そしてその祈りの具体的な対象が2節に挙げられています。「王たちやすべての高官のためにもささげなさい」と。この王たちとはローマ皇帝を始めローマの支配下にあった国々の王たちのことでしょう。ローマ皇帝を覚えて、祈れ、執り成しの祈りを捧げよ。そのローマ皇帝とは具体的にはドミティニアヌス皇帝を指しているのでしょう。ドミティニアヌス皇帝は、あのネロ皇帝同様にキリスト教徒を激しく迫害した皇帝として歴史に名を残しています。その皇帝を、またその皇帝の影響を受けた後の皇帝を覚えて、祈れと命じているのです。このローマ帝国が後にはキリスト教国になっていくのでありますが、それは当時のキリスト教徒たちが迫害を受けながらもその地その地で伝道していったからでしょう。当時のキリスト者が自らの信仰を告白し、信仰をもって歩んだがゆえに殉教した人は数えきれないでしょう。そして彼らは、今日の聖書の箇所で命じられているように、当時の為政者を祈りに覚えていたのでしょう。祈りに励まされ、支えられ、敵をも愛する愛に生き抜いたからでしょう。その生き様がコンスタンチンヌス大帝をもキリスト者へと導いていったのではないでしょうか。

 さて、テモテの手紙の著者は、なぜ王たちやすべての高官のために、祈りを捧げなさいと命じているのでしょうか。それはこのように祈る、その人が「常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」と述べております。これが神に対する正しい振舞いなのだというのです。 そして6節ですが、祈りをささげなさいという理由がさらに述べられています。「この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました」。 6節の後半はとても難解な箇所でありますが、「これは定められた時になされた証しです」とは、イエス様の十字架の死を指しており、その十字架の死は、全ての人々の贖いとして献げられた行為なのだ。だから王たちやすべての高官のためにも執り成しの祈りをささげなさいと命じているのです。ここで語られていることを当時のキリスト者は受け入れ、信仰に生き抜いたのではないでしょうか。当時のキリスト者がこのような命令、勧告に忠実だったがゆえに、ローマ帝国がキリスト教国にと、あり得ない話が現実となっていったのです。それは神の命令であり、神の御意志だったからでしょう。

 私たちもこの現代社会で、どうしようもない世俗の力を感じます。政治が悪い、政治家が悪いと。それらの力の前に無力さを感じます。しかし私たちもこのような時代だからこそ「王たちやすべての高官のためにもささげなさい。」という勧告を素直に受け入れていかなくてはならないのではないでしょうか。私たちの祈りが主によって聞き入れられ、世の中は変えられていくでしょう。

            (テモテへの手紙一 217節)