―8月30日説教―                              牧師 松村 誠一  

                      「恐れることはない」   

イエス様は5,000人にパンをお与えになった後“強いて”弟子たちを舟に乗り込ませ弟子たちだけの時を持たせております。それは一人静かに祈るため、そしてもう一つはイエス様の死後の弟子たちの教育も視野にあったのだと思います。

 聖書は舟に乗り込んだ場面へと移っていきます。舟は既に陸から離れ逆風のために波に悩まされていました。そのような中、イエス様は湖の上を歩いて弟子たちに近づいたという出来事が報告されています。波が激しく、舟が逆風で悩まされている中、イエス様は湖の上を歩き、弟子たちのところへ行かれました。そのイエス様の姿を見た弟子たちは、「幽霊だ」と思い、そして「恐怖のあまり叫び声を上げた。」と記されています。そのような弟子たちにイエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と声をかけられています。

 この福音書の著者であるマタイは、この「湖の上を歩く、イエス様」の伝承にさらにイエス様とペトロとのやり取りを加えています。その箇所は28節以降に記されています。ペトロは湖の上を歩かれるイエス様を見て、自分も湖の上を歩きイエス様のもとへ行きたいと願い、舟から降りて水の上を歩き出すのですが、強い風に気がついて怖くなり沈みかけてしまいます。そこでペトロはイエス様に助けを求め、イエス様によって助けられるという出来事が記されています。

 マタイは、なぜ、このペトロがおぼれそうになった出来事を記しているのでしょうか。それは、マタイの教会員(マタイ教団)に信仰について語り教え、励ますためです。当時のキリスト者は確かに信じている。しかしイエス様に対する信頼と疑いという二つの思いが信仰者の心の内にあったのでしょう。そういう信仰者に対して、イエス様の一番弟子のペトロでさえ、イエス様の「来なさい」という言葉を信じて、荒れている波の中、イエス様のもとに行こうとしたが、途中で強い風に気がつき、怖くなり、沈みかけてしまった。でもイエス様は、「主よ、助けください」というペトロの叫びに、答えてくださり、おぼれそうなペトロを助けられた出来事を語り、信仰弱き教会員を励まし、信仰とはいつも信頼と疑いの間にあるのだ、ということを語り伝えているのです。

今日の教会も、マタイの教会のように、逆風、荒波、つまりこの世で困難や、障害、様々な問題を抱え、恐れおののき、「主よ、助けてください。」と叫ばざるを得ない状況にいつも置かれているのではないでしょうか。同様な私たちも「主よ、助けてください。」と叫ぶならイエス様は答えてくださり、私たちの手をつかまえてくださり、そして「信仰の薄い者よ、なぜ疑うのか」と声をかけて下さるのです。私たちもその主イエス様により頼み、助けを頂き、「本当に、あなたは神の子です」と告白し、主イエス様に従って歩む群れであり続けたいと思います。

        (マタイにゆる福音書142233



823日 説教 ―             山本弘夫 神学生

                         「天の国の発見」


マタイによる福音書には、キリストの大きな説教が五つのブロックに書かれている。本日の聖書の箇所はそのうちの三つ目のブロックにある七つのたとえ話の中の天の国のたとえ話である。


一つ目は、畑の中に隠されている宝を発見した人がそのまま隠しておき、喜びながら帰り持ち物をすっかり売り払ってその畑を買う話である。

二つ目は、良い真珠を探している商人が高価な真珠を一つ見つけると出かけて行って持ち物をすっかり売り払いそれを買うという話である。

この二つのたとえ話に共通する「持ち物を全部売り払って」という言葉によって天の国は何ものにも代えがたい価値あるものだと言うことがわかる。それほど大切な価値のある天の国(神の国)とはいかなるものか。

マルコによる福音書1章のイエスの宣教開始の第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」である。マタイによる福音書12章でイエスは「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば神の国はあなたがたのところに来ているのだ。」と語る。

神の国の完成は終末のできごとであり、神が成し遂げて下さる出来事である。しかし神の国はイエスとともに既に私たちのところに来ているのである。

 マタイ6章では、主の祈りとして、「神の国が来ますように」と祈ることが求められている。続いて「御心が天で行われるとおり地にも行なわれますように」と祈る。

 この世においては神の御心が行われるところが神の国である。そしてそのような神の国は自分の全財産をはるかに超えて価値あるものと語られる。

  神の国はなぜそのように価値があるのか。神の作品として神のかたちに創られた私たちは堕落して罪びととなってしまった。そうした私たちを救うために神は救い主キリストをこの世に遣わして下さった。

 キリストは私たちが方向転換して新しい命に生きることができるように真理を語り、私たちの罪を赦すために身代わりの十字架にかかって下さった。この身代わりの死により私たちと神の間を隔てていた罪という障壁が取り除かれ、私たちと神との間に赦しに基づく和解と平和が成立し、豊かな交わりが回復したのである。そして信じるものは助け主である聖霊を賜ることができる。この聖霊を受けるために必要なことは私の体験からすると、①神をこころから礼拝すること、②御言葉に従うこと、③祈りとしずまって神の声を聴く瞑想である。

 パウロは、ローマ人への手紙8章で「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平安である」と語っている。私たちの心の中には、肉の思いと霊の思いが共存している。そのため霊の思いが肉の思いよりも優勢にならなければならない。ここにおいて聖霊の力を賜るときに霊の思いは肉の思いに勝利するという事実が大切である。

 霊の思いが優勢になったとき、ガラテア人への手紙第5章に書かれている愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制という聖霊による実りがもたらされる。

私たちの心に神の国(天の国)が実現する。肉の思いが支配する世界の中に、神の御心、愛、喜び、平和等の支配する神の国が生まれ、それが広がって行く。その価値は何ものにも代えがたく尊いものである。

                    (マタイによる福音書 13:44~52)


―8月16日 説教―                富田 敬二 師

                       「平和を実現する人々」


【帝国憲法の下で】

戦争中は『萬世一系の天皇之を統治す(憲法第1条)の国でした。『神聖な方』で『陸海軍の統師』でしたので『日本国民は兵役の義務』が有りました。勿論この帝国憲法に『信徒の自由』『集会や結社の自由』が『国家の安寧秩序』の中で認められていたのです。ですから『教会』も宣教活動に極端な制限は課せられなかったのです。僕の育った教会は付属幼稚園 もあり地域社会に必要な教会として受け入れられていたのです。19319月満州事変突入の戦争中でしたが、教会は、334月に35人会堂から120人収容の新会堂を建設し福音宣教に励んだのです。この会堂も僅か12年後の454月の東京空襲で灰燼に帰したのでしたが433月まで礼拝と幼稚園活動は続けました。学童疎開に次いで建物の強制疎開で44年に『牧師館と保育室3室』が取り壊されました。

 【早天平和祈祷会】

戦時中の教会は「大変だったでしょ」と聞かれるのですが、40年末頃迄は宣教師の先生方はご奉仕くださり、僕の中学の友達はバイブルクラスに参加していました。教会員で召集(軍隊に)される青年も数名いましたが、学徒出陣(43年)までは大学生の多い教会だったので礼拝も教会学校も盛んで、加えて韓国や台湾、中国の留学生など熱心に教会奉仕に励んでいました。教会活動も日曜日は早天祈祷会・日曜学校・礼拝・午後の諸集会・路傍伝道・夕拝でした。水曜日は聖歌隊練習・祈祷会・青年読書会、金曜の早天祈祷会、土曜の午後は会堂・教育館・花壇などの掃除、教師聖書研究会等々忙しい、そして楽しい教会生活でした。路傍伝道は大塚駅の横の『三業地』で夕拝に行い、金曜の早天祈祷会は出勤や登校前の学生青年達で『平和実現』の祈り会が続けられました。

 【国家と軍部の圧力】

戦時中教会に憲兵の立入りや警察の目が光っていた等聞いたのですがその様な経験は一度もありません。4112月の太平洋戦争開始後に諸集会前に『国民儀礼』の実地が要請されました。しかし父は天皇崇拝に組みせず、礼拝プログラムでも行いませんでした。ただ町内の諸集会には場所と時間の許す範囲で会場提供を協力していました。僕が小学生の時でした。その日の夕方から『在郷軍人会と国防婦人会の会合』が教育館ホールで開かれました。会の初めに『国民儀礼』です。のぞき見している僕を驚かせたのは次の号令でした。ホールの壁に『12才のイエス』の絵がかけてあるのですが、司会者がその絵に向かって『イエスキリストに向かって敬礼』と。全員が『礼』をして会議の始まりです。

 【激動の1945年】

戦時中でも町民に親しまれた『教会』が存在し、証していたのです。さて1945年は戦時・敗戦・占領下と云う環境の変化だけでなく、僕個人の生活も大変化でした。毎日学徒勤労動員です。2月兵隊検査、」4月空爆で礼拝堂焼失、焼け跡でイースター礼拝、伯父の家に寄宿。6月召集令・兵隊に、7月戦線に(内地警備)、8月終戦帰還、9月復学、920日卒業、10月中学教諭着任(両親上京)、11月借り家教会再会、クラスで聖研、12月進駐軍クリスマスに参加。6月の入隊前に父は『敬二が兵隊か、戦争を終わらせて来い』との送り言葉でした。入隊して戦闘服は貸与されたが『武器』は全く無い軍隊でした。722日出撃命令で外地へ(全員東京湾沖で戦死)僕を含む60人だけ内地警備で敗戦を迎えたのです。戦時中信仰告白に、更に会堂焼失時に献身に導かれ、主に用いられ『感謝・賛美』です 

            (マタイによる福音書5章9節)


―8月9日 説教―              村中 範光 師

                      「へだての壁を取り壊す」

平和の主

今年も暑い夏、8月を迎えました。8月は私たち日本人にとって「平和」を考えるとても大切な時です。特に今年は敗戦後70年となる節目の年です。総理大臣による『70年談話』が話題になっていますが、「侵略」、「悔い改め」、「反省」の言葉はぜひ盛り込んでほしいと願いつつ祈っています。

さて「平和」について考えるとき平和を妨げる心の働きがある事に私達は気がつきます。今日の聖書が語る「敵意という隔ての壁(14節)」が私達の心に入り込んでくるからです。敵意を抱くから争いが生じます。国と国の間ではそれが戦争となります。戦争の時は相手を憎む考えを徹底して国民に植えつけます。先の「太平洋戦争」では「鬼畜米英」といった言葉を用いて相手への敵意をあおりたてました。個人的な生活の場では、隣近所や学校、職場でも敵意が強まるとそれがいじめや極端な場合、殺人にまで発展してしまいます。敵意は私達の理性を失いさせ、自己中心に物事を考える行動へと駆り立てます。

この敵意という隔ての壁がある限り戦争や争いが絶える事がありません。この敵意を取り壊す事が平和への第一歩となります。私達はイエス・キリストを私達の主と仰いでいます。そのキリストこそ「わたしたちの平和(14節)」なのです。聖書全般では来るべきメシア、キリスト(救い主)の事を『ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ 95節)』と預言されていますし、イエス様ご自身「山上の教え(マタイ 57章)」のなかで「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ 59節)」と語りかけて下さっています。聖書では平和は何よりも大事にしなければならないことなのです。

でも肉の中で生きている現実の私達の心の中に時としては「敵意」が沸き出でてきます。その時こそ私たちは「主なるイエス様」という原点に戻りましょう。イエス様が「私の主」という決意はあらゆる局面で、特に難しい局面、誘惑の局面において主なるイエス様の教え、生き様へと戻り改めて彼の教えと生き様を思い起こす事なのです。平和について今日の箇所でまさにイエス様が「距ての壁を取り壊す(14節)」方である事が示されています。「双方(敵対する者同士)を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現15節)」してくださるのです。さらに「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(16節)」と述べられています。十字架はイエス様がその贖いの死を通して私達に示されている「和解」「赦し」そして「平和」のシンボルなのです。イエス様は最も重要な教えをマルコ12章で「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(30節)」、「隣人を自分のように愛しなさい。(31節)」とされています。愛することへの第一歩は相手への敵意の隔てを取り壊し、平和の中で共に手を取り合って歩む事なのです。山上の教えで「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(544節)」の言葉はイエス様の十字架による「和解」「赦し」そして「平和」を胸に歩む者に与えられる神からの恵みなのです。

今日、山本あさ子さんの実に生々しく切実な証しを通して「平和への願い」が訴えられました。私達はイエス様の十字架による真の平和を述べ伝えていきましょう。

         (エフェソ人への手紙 21122節)



―8月2日説教―       牧師 松村 誠一

    「盟約の杯を交わしてはならない」

このイザヤ書は紀元前705年、南ユダはアハズ王からヒゼキア王の時代であり、その時代に活躍したイザヤの言葉が綴られています。私たちは今祈祷会で、そして教会学校でホセア書を学んでいますが、このホセアの時代はシリア・エフライム戦争の時代であることを学びました。少し振り返ってみたいと思います。北イスラエルとシリアは、こぞってユダに攻め上ってこようとしたため、ユダの王アハズはアッシリアに援軍を求め、難を逃れております。この時もイザヤはアハズ王に、「落ち着いて、静かにしていなさい、恐れることはない。」と、アッシリアと同盟を結び、アッシリアに頼ってはならない、あなたが頼らねばならないのは真なる神であること語り伝えています

それから時代は過ぎてゆき、南ユダ国はアハズ王からヒゼキヤ王の時代になるわけでありますが、この時代、アッシリアは勢力を伸ばし、同盟国である南ユダをも占領しようとしてきたのです。ヒゼキヤはアッシリアの脅威から逃れるために、エジプトの王パロを頼り、エジプトと同盟(盟約)を結び、アッシリアからの脅威に対処しようとしたのです。またもや、同じ過ちを犯そうしております。イザヤはエジプトと同盟(盟約)を結んでも何の益にならない。何の助けにもならい、そして受け取ることが出来るのは恥と、嘲りだけだ、と忠告を与えております。しかし、ユダの民は、イザヤとその弟子たちに、「真実を我々に預言をするな」と、言論統制を行っております。ここに記されている事柄はBC700年も前のことであります。しかし、今日においても同じことが行われているのではないでしょうか。国の指導者の都合が悪いことは、いつの時代でも語るな、しゃべるな、報道するな、といって言論統制をしくのです。その結果、預言者が語る真実は覆われ、ユダの民は走り出した道を走っていくのであります。またもやイザヤの忠告を聞かずにエジプトと同盟を結んでおります。

今日の日本、安倍首相はアメリカに行き、安保法制を見直し、同盟日米同盟の絆を深めていくことを約束しております。今朝の聖書では、「盟約の杯を交わして」おります。BC705年のユダの国と同じ過ちを犯しているのではないでしょうか。

イザヤは、神と契約を結んだユダの民に、エジプトと「盟約の杯をかわしてならない」と忠告をしております。この危機的状況の中で、イザヤは神からの言葉「『お前たちは、立ち帰って 静かにしているなら救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。」語り告げております。しかし、ユダの民は、この語りかけに聞き従わなかったのであります。そして南ユダはエジプトの援軍もなしに、無残にアッシリアによって大打撃を被るのです。歴史は繰り返すと言われていますが、このユダの国のこの歴史は、世界中で繰り返し同じ過ちを繰り返し続けているのではないでしょうか。

今日の日本もまたもや同じ過ちを繰り返えそうとしているのでないでしょうか。同じ過ちを犯さないように私たちキリスト者がしなければならないことを祈りつつ、祈りの中で示されたことに忠実でありたいと思います。

    (イザヤ書30章1~5節)